【出雲大社の功徳もある!? 真菰のしめ縄作りで執着を手放す】
いきなりですが、日常の執着をどれだけ手放せていますか?
ちょっと考えてしまいますよね。
自分もできるだけ毎日、
近くの神社にご挨拶をして1日を始めるというのが日課なのですが、
執着なんて言葉は頭にないままだし、
しめ縄を見ても「どうやって作ってるんだろーなー」
くらいのことしか考えていなかった
わたしであります。
祈りだのなんだかんだ言っても浅いですね。(^ ^)
今日は縁があってしめ縄を自分で作る日になりました。
ありがたいです。ワクワクしながら当日を迎えました。
出雲大社の功徳もある!?と後から聞きました。
もうね、楽しみでしょうがありません。
真菰のしめ縄作りで執着を手放す、なんて素晴らしいことなんでしょう。
こうして日本の伝統に触れる、
日本古来の文化の技術に携われるなんて嬉しいですよね。
今年は個人的な仲間内でも話題に多くあがった真菰。
今回はこれを使っての作業です。
わたしの仲間内では実際に食べてみたり、そこからお茶を作ってみようとか、
麹に使ってみるとかいろんな情報をいただきました。
さて、しめ縄作りにかかります。
その前にあらためて真菰(まこも)とは?
『古事記』や『日本書紀』『万葉集』にも登場する、
神代からある植物です。
古来より真菰(まこも)は“身体の浄化”のために使われてきました。
真菰は神事でも使われているのですが、
神事というと、麻を思われる方の方が多いように思います。
まず、島根の出雲大社の注連縄は真菰でできています。
宇佐神宮の御神体は真菰の枕。
東京の神田明神、千葉の香取神宮、埼玉の氷川神社など、
今でも数多くの神社では神事の際に登場します。
出雲大社の凉殿祭(すずみどのまつり)は別名「真菰の神事」ともいい、
出雲大社東方の出雲森から銅鳥居東の御手洗井まで立砂が盛られ、
神職によって青々とした真菰が敷かれ、
この上を宮司が大御幣と共に参進祈念する神事です。
敷かれた真菰を頂くと無病息災をはじめ
五穀豊穣の御蔭を賜る信仰があり
信者は競ってもらい受け、神棚に祀ります。
ああ、本当に神の世界にある植物を
今ここに手にしているというわけだ。
習う手順はなんと縄文時代から。
今この時まで続く伝統の手法であるということだ。
どれだけ気の遠くなるほどの時間を超えて今までに伝わっているのだろうと思うと、
そういった歴史や文化に触れる機会をいただけただけで胸が高鳴ってきますよね。
作業工程、手順は「出雲式」の巻き方で行いました。
つまりは出雲大社の飾られているしめ縄と同じ向きになります。
出雲大社のしめ縄を手にする喜び
まず、今日初めて真菰に触る、そしてもちろんしめ縄を作るには
簡単手順を踏まえた基本編みの指導を受けます。
せっせと編み込み初めて仕上げたしめ縄、う〜ん、
こんな手順なのねと確認をしながら完成させます。
もちろん出雲神社本物とは遠くかけ離れているのでありますが、
出雲の神を意識して作りあげたわたしたち個人の思い入れのこもったしめ縄です。
そう思うと出雲神社の功徳をそのまま手の中に納めたような気持ちがわきおこってきます。
初めてなので仕上がりも拙い。
でも、2〜3度繰り返すとコツも分かり作業のペースも上がっていきます。
編み上げていくサイズもアップさせていきます。
真菰にまつわる歴史を聞きながらの作業、
仕事というよりもこれってもはや神事ですよ。
日常の「執着を手放す」には?
作業の中で真菰を抑える指を離すという手順があるのですが、
これはそのまま「執着を手放す」という意味付けでもあるそうだ。
押さえる、捉えておくこと、
手放さずにいること、解放出来ない思い、
すなわち「執着」。
形ばかりではなく精神性をみがくためにある作業ということだ。
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■精神性をみがくためにある作業
人間は、人や物など大切なもの、
思い入れが強いものには執着してしまう傾向があります。
執着することそのものは仕方のないことですが、
時にはその執着が息苦しさに繋がったり、
前向きに未来に進むことを邪魔したりすることもあるのです。
ある人や物に心を囚われている状態です。
例えば恋愛。
その人以外には目が向けられない、それに代えられるものはない、
といったように、選択肢を失っているといえます。
そのため、執着心は視野を狭めて、
未来のために本当に必要なものを見失ったり、
心の健康を損ねる原因になったりするのです。
執着心がある間は、執着している対象しか目に入りません。
もし新しい出会いのチャンスや、
手元の物より良い物を手に入れるチャンスが到来しても掴むことができないでしょう。
そもそも視界に入らないので気づくことすらないかもしれません。
執着心を手放すことで
過去にこだわらなくなりポジティブになり、
自然と周囲と自分を比較することもなくなり、
冷静な判断ができるようになり、長い目で見たら幸せになっている、と。
でも、日常的にはついつい余計な執着を持ってしまいますよね。
そのための浄化、忘れないようにしたいですね。
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講師の説明では食料、薬草、水質浄化はもとより、
古神道から考古学、食の歴史まで真菰にまつわる話題は
本当に尽きることがないくらい。
話題の一つひとつに「えっ」と新たな発見があり、
「うひゃあ」と驚きます。
もうね、自分も本当に真菰の水田の2つや3つ、
手に入れて毎日管理していきたいものですよ。
今回、扱ったには採取仕立てのまだ青いもの。
これを編み上げてみました。最初に完成させたものはやっぱりしょぼいので、
自宅に持ち帰った後にもう一度紐解いてもう一度編み上げ直してみました。
それにしても葉もまだまだ青く良い匂い。
薬草とも違う、神社の雰囲気を思い起こさせるような目の覚めるような匂い。
ここから乾かして余分なところをカットして「シダ」
(神社や化粧回しにつけている白い紙)をつけて飾ります。
もう少し、まとまった量の真菰が手に入ったらもっと
大きいものを仕上げていきたいですね。
ちょっと最後にウイキの情報をコピペしちゃっておきます。
〜日本では全国に見られる。
水辺に群生し、沼や河川、湖などに生育。
成長すると大型になり、人の背くらいになる。
花期は夏から秋で、雌花は黄緑色、雄花は紫色。
葉脈は平行。
種子(ワイルドライス)、
肥大した新芽(マコモダケ)が食用とされる。
(講師の紹介によると天ぷらが絶品らしい)
また、マコモダケが黒く変じたものからは黒い顔料(マコモズミ)が得られ、
お歯黒、眉墨、漆器の顔料などに用いられた。
出雲大社では毎年6月に「マコモの神事」が行われる。
「出雲の森」から、御手洗井までの道中に清い砂を敷き、
その上にマコモが置かれ、宮司はその上を歩いて参進する。
宮司が踏んだマコモは御神威が宿るとされ、
参拝者は持ち帰って神棚に飾ったり、
浴槽に入れたりする。
また、出雲大社の神幸祭でもマコモを用いる。
マコモを藁苞(わらづと)のように加工した苞(しぼ)という物を
神職が手にして神幸を斎行する。
健康法でマコモを用いるものが以前からあったが、
疑似科学の範疇に入るものも散見される。
北米大陸の近縁種(Z. aquatica、アメリカマコモ)の種子は古くから穀物として
食用とされており、今日もワイルドライス(Wild rice)の名で利用されている。
ワイルドライスは近年、スローフード運動の一環としても注目され、
商品化もされている。
近年では米国(カリフォルニア州、ミネソタ州など)、カナダ、ハンガリー、
オーストラリアなどでワイルドライスの商業栽培がすすめられている。
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