【コロナで気持ちが疲弊 わたしの愛が許してもらえないのなら】

 コロナ自粛の影響、
テレワークなどで生活環境が変わったことで自宅にいるだけで
ストレスを感じているという事例が激増しているそうですね。

好きな家族と一緒にいられる時間が幸せとは一括りには出来ないことだとしたら、
なんだか寂しい気持ちもしますが、
まあ、そういうものなのでしょう。

 

人の悩みはほとんど全てが対人関係、
仕事や外出先でのことばかりでなく自宅の中でも起こってしまうというのだからちょっと驚きです。

 

むしろ遠慮のない家族だから云いたいことを言い過ぎて、
反面に堪え過ぎて気持ちが疲れてしまうなんてことあるなんて
となると繰り返しになりますがやっぱり残念。

 

 
そこで、
「わたしの愛が許してもらえないのなら」
 
 
 
 
 

そう思っている方に向けての人生で捨て去って欲しい感情とは何か。

 

 

 

ちょっとだけ気持ちを整理して
シンプルに人生を高めていけるように考えてみましょう。

 

 
 
 

そこまでストレスになるなら同居していたとしたって
話しもしなければ顔を合わせないように調整すれば
それで済むように思えるのですけどいかがなものでしょう。

 

 

 コロナのせいで体だけでなくココロまで部屋に閉じ込められたままとなって、
自分の人生が望むところに流れていけないと感じていますよね? 

 

 

 

一時的にであるにせよ、
自分の望んだ生活ではないと感じているから

 

 

「なんでこんなことに」と不安を助長する。

 

 

みんなが頑張っているからわたしも頑張らないといけない、
でも子供はわがまま放題だし、
夫も、妻も自分の都合を優先させたがっているばかりだし、
このまま前に進んで行けない感、いつまで続くの? 

 

 

とイライラして今にも人(とりわけ子供)に手をあげてしまいそう。

 

 

でも、ちょっと落ち着いて。

 

 

生活に制限はあるにしても、
生きて行くための熱意までも押し込められたわけではない。

 

あなたもわたしも

 

「~するべき」

 

「~してはならない」

 

そんな義務、制限といったいわゆる自分の感情が押さえつけられたものであったとき
あなたのココロの奥底で「もうイヤだ」と感じているのですよね。

 

「~しないとならない」という状況の中で
「いいよ、OKだよ」と思えるのか、
「イヤだ」と思えるのかであなたの自身の人生が変わるのだから、
むしろ全て受け入れて全てを流すくらいの在り方でちょうど良いのです。

 

 

そんな中で自分では周囲の人に向けての愛情満点だと、
自分なりの自信があればそれだけでいいのだよとね。

 

 
 
 
このコロナ騒動の中で仕事や収入が伸びつづけている人

(医療、通販、テレワーク関係など)は当たり前の日常が
おくれないという理不尽がな状況を耐えていることは当然だとして、
今ここで人生ばかりか世の中を変えていくチカラを持ちたいと思うなら、
まさに今ココで踏ん張ってより良い方向に向かって行こうと願うはず。

 

 
 

理想はそうであっても、
今や世界各地でロックダウンや非常事態が宣言がなされている時代です。

 

 


さらにこれから制限が解除されてももう元の生活には戻れません。

 

 

自分の年齢や社会的立場的に変動するリスクが大きくなる状況にいるのであれば、
愛だの家族だのなんてこと考えている余裕も無くリスクや不安と向き合っているのかもしれませんよね。

 

 

 

「わたしの思いを受け止められていない」と本来の気持ちを押しとどめられている、
だけれども自分の思い通りに行動したい、
自分が正しく在りたい、相手に直してもらわなければとならないところがあると
強く願っている自分に気がつきはじめています。

 

 

行動制限から自分は愛情を与えられず奪われてしまっているのだと誤解する。

 

 

家族を愛してはいるとは口にせよ、実感はない。

 

 

責任を求められすぎていると、
どこかでそうした状況を自ら選んでいることにも感じてはいる。

 

 

気持ちの拠り所が見つからないのだと感じている。

 

 

コロナの脅威にさらされながらの毎日では不安でしかないという感情とを
自分自身で選択していることに気付けなくなってしまっている。

 

 

そんなナーバスな感情が生まれてきてはいますよね?

 

 

 

抑圧されたと思う自分の感情を解放してストレスをフリーにしたいと思うなら、
制限された生活の中でも自分らしさを失わない生き方をしたいと思うなら、
こんなふうに簡単な事から挑戦してみませんか?

 

 

 

まずは自分が望んだ姿になっていることを「許す」こと。

 

 

 

成功、承認、安心と何でもよい。

 

 

今からわたしは悩みのある毎日に踏み止まる事無しにして、
人生において成功することが出来た、
承認を得られたと確信を持つことを自分に許可をする。

 

 

 

負の感情は全て捨て去る、投げ捨てる意識を持ち続けていくと決める。

 

 

 

そうして理想の自分になっていけていることを理解できる。

 

 

 ただし、間違っていけないことがひとつあります。

 

 

 

それは成功するのは明日の自分として設定すること。

 

 

 

時間軸のリセットでついつい、
日が変わってからと妙な律儀さがあったりしますが、
そんな幸せになる事を先延ばしする理由など何も無い。

 

 

 

今から幸せになることのどこがいけないのでしょう? 

 

 

 

そうだよね、今の自分が幸せになることができると確信する。

 

 

 

明日のわたしは子供に辛くあたらない、
そう決めたところ実際に行動に移せるのはそのまた明日ということになる。

 

 

 

明日やろうはバカやろうとは言ったもので、
明日は明日にとなる擦り込みが始まってしまう。

 

 

 

つまりはそれが先延ばしの原因。

 

 

未来の自分軸の設定には相手の行動や思考を制限しそうになることが往々にあります。

 

 

 

相手の行動は思いを全て受け止められる自分であるとの理想を持てば、
あなたのココロはどこまでも自由なものになる、
変えるべきは周りなんだけど、
自分は何も悪くないのだとしたこの行き詰まった感情、
どうにかしていきたい。

 

 

 

もう、考えるまでもないですよね。

 

 

 

今、気持ちの中でくすぶっている不安の感情も、
安心の感情もすべて吐き出してしまうことであなたのココロはよりオープンになっていくはずです。

 

 

 

不満を抱えて生きていきたい?

 

それとも自由になっていたい? 

 

選ぶのはあなたです。

 

 

 

ココロをオープンにするにつれて、
気持ちの中にあるスペースはその尺がどんどん大きく広がり、
ちょっとした不安などは小さいものになっていきます。

 

 

 

手元の石を洗面器の中に落とすと大きく跳ね返る。
それなら湖に落とすのか、もっと大きく海に捨ててしまうのかか、
その広さを拡大していけるのかがあなたの強さだよね。

 
 
 
 
 
 

イヤなことにフォーカスしてしまうというのは、
気持ちのどこかでイヤな体験を求めていることにも繋がることが多いことがあったりします。

 

 

 

例えば授業中、目立たないようにしてしていたのに教師と目が合い指名されるとかね。

 

 

イヤな体験を求める本質、
気付かないレベルで人生があなたに踏み出す機会を作り出しているということ、
このトライひとつクリアできたらレベルが上がるよという
歯車の噛み合わせの調整タイムなのだよということ。

 

 

 

人生や家族に愛されていないのではない、
ココロの中の栄養が循環していないとそんな風に
自分がダメになりそうという気持ちの汚染が始まってしまう。

 

 

 

だから、自分のココロは満たす以前にクリアにすること、
満たすものは量ではない、美しさや純度が高い方にシフトして満たす。

 

 

 

そのことに意識できたらココロの曇りもどんどん取り除くためのリセットが続けられます。

 

 

 

量は少ないながらも美と優しさの満ちた気持ちをあなたが持ち続ける事で人生は必ず好転していきます。

 

 

 

それを今、わたしたちは新型コロナのもとに試されている訳です。

 

 

 

コロナから沸き上がる不安や猜疑心に捕われたままであったのならココロの水も濁っていく、
その濁りがあなたの不安や愛されていないという現実を作っていく。

 

 

 

与える与えない以前に愛を受け取る為のゆとりをある時間や場所をつくる、
全てはそこから始まります。

 

 

 

今、ココロが濁っているのだとしたら
それは新たな自分に生まれ変われる前の浄化なのだと理解できたら、
全てはあなたの望むものが手に入るものだと思えますよね。

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