【涙で浄化する対人関係のリセット】

【他人の都合での自分のココロが限界なんてすぐやめろ】
 
 
 
 
 
あなたはいつも幸せな気分を感じていますか? 

気持ちよく過ごそうと意識していますか? 

当然、人とのトラブルもなくお互いが自然と気持ちよ~くなれるなら、
と思っていますよね。
 
 
 
 
 
 
当たり前です!

でも、そうした思いが空回りするのか、
はたまた自分の周りには我が儘な人が多いのか、
いつしか人との付き合い方の中で疲弊と不満でいっぱいになる。

 
自分の人生で生きている、ということ忘れがちになっていますよね? 
あなたのココロの本心を思い出せと云われますが、
ただ思いついたものばかりを並べ上げたところではまだ浅い。

自分がなぜそう思うのかを深堀りすることに加えて、
自分の本質を知るという意味で時間軸を遡って探求する。
そうすると視点が変わります。

 
自分がなぜそう思うかにさらになぜそう思うかに1年前、5年前、10年前の自分なら? 
と質問する。

これを繰り返すとどこかで自分が0才以下になってしまうところにいきつく、
そうしたらあなたの親がどんな思いであなたが生まれる以前に
「こどもが持てたらどんな人になってくれるのか」というところを想像してみる。

大体でもいいので母親が仮に30才だとして、
その頃に子供を授かりどんな将来を期待したか。

少なくとも、他人に振り回されてイライラしながら仕事を
している大人になってくれいなんてことは微塵にも思っていないはず。

 
創造力は無限大、だからこそ自分を受容し認め気持ちの中で安らぐことを
得ることが正しいとするチカラをあなたはすでに持っているということを思い出して生きていこう。

そうしたココロの持ち方で涙でココロが溢れていきます。そして浄化されます。

 
さて、こんなコロナなんてウイルスで世界中にロックダウンなんて政策が広まってしまいました。

 
コロナはさておき、人生を通じてわたしたちは粘り強い、我慢強い!! 
と確かにすぐに諦めない持続力も必要だけれども、
ちょっと待て待て、そこまで我慢を重ねている理由はないだろうと考えることはありませんか?

 
 
自分や家庭を顧みず仕事に尽くす、とか自分より他人のことに頑張ってしまうとか、
それでもまだ結果の見えるものであるなら誰かのためにチカラになれたと納得もすることもできると思うけれども、
我慢が自己犠牲となってしまうようでは人生をただただダメにする。
とはいえ、考えてみるまでもなくいろんな場面で感情を
押し殺す訓練をされてきたわたしたちだから無理もない。

泣くな、笑うな、喋るな、動くな、痛いと言うな、するな、するな、、
とまあ数え切れないほどの制限やストップをかけられてきた上に
自分の喜びにある感情を抜きにして、
どこかで働かさせれたりするようなことずいぶん経験してきたはずだからね。

自分もあえて、反抗せずにその場を受け流した死んだフリで周りからこちらへくる
干渉を極力退けるようなことやってきたし、
そんな選択をするのにも独善的ではあれ理由はある。

 
だからもう我慢できないと思っても、
同じことが次に会ったら我慢できちゃったりするんだよね、
キャパが広がってしまったということだ。

幸福のスケールが広がっていくなら喜ばしいことなのだけれども、
負の軸が広がるなんて、
普通に考えても人間らしい生き方なのではないことはわかり切っていること。

 
 
そんな中で、
人生を取り戻して幸福度を上げていくためのリハビリとして必要な訓練が、
自分を赦すこと。
好き勝手に振る舞っていいよ、という都合の良い解釈に取り違えないでくださいね。

 
ゆるす、許可ではない。

全てを認めて受け入れること。

今まで押し殺していたあなたの感情の檻、解放してください。

いろんなこうして欲しかったというものが飛び出してくるのではないでしょうか。

人によっては手に入れることを憚られていたものを新たに手にするとか、
もしくは愛してやまない人に触れる感激を思い出すというより初めて経験するのかもしれません。

諦めていた愛を手に取り戻す、そんなことを? 

人間は器用すぎるのだよ、感情を押し殺したり、
顔に出さないようにすることができてしまうだ。

そうして、自分の不幸を普遍的なものにする、
今までそうだったからこれからもそうなるなんて考え方ができちゃう。

 
ある意味、恐ろしいよね。

忍耐と習慣、切れないつながりがある。

人生を好転させていくには良いとされる習慣作りと実践、
成功法則という言葉を持ち出さなくてもどこかで毎日新しいトライを続けたり、
人と会ったりすることで自分の人生経験値を上げていくための習慣、
そこにちょっとした忍耐が求められるのであれば、
わたしたちは今だ毛の辛抱だ!と頑張ることができる。

そう、未来を楽しむ忍耐を頑張るというのだよね、
ただ泣くことを耐え忍ぶこととは違うのだ。

 
未来を思いどおりに変えていきたいというならどんな
トライをし続けてみることができそうですか?

まずは未来像をはっきり描くこと、そのために誰と会うのかを決める、
別に師となる人を求めなくても良い、ただ同じ仲間があればいい。

どこにいくかの場所を決める、できるなら生活基盤を変える、
つまりはより活かせる知識や経験を踏み込んで自分のものにするチャンスを増やすということ。

 
人生を変えるチャンスというのは、
意外に自分の得意な分野にあるとは限らないのかもしれません。

なぜなら見込みがあると思われたあなたであるのなら、
どんな分野からでも必要とされることになりますよ!

自分なりの社会への向き合い方の習慣が、
あなたらしさを形成して信頼を作り上げていきます。

そこには時間もかかるし鍛錬が求められる。

鍛錬への限界突破でひとつ世界像が広がっていくことにもつながっていけるはず。

我慢してくすぶっているなんて、
そういう生き方など自分から求めることはありません。

わたしたちのマインドはどこまでもフリーだし、
世界を広げていけるのも自分たちの想像力の賜物なのだから。

そんなわけで、
心の自由度を高めていければ必然的に幸せな環境に手が届いたり
自分の望んだ以上の成功が手に入るはず。

求めすぎることよりも、
選ばれる自分になれる鍛錬を習慣づけることで人は成長できるのだよね。

そこには過去のミステイクから学んだものも
多くあなた自身の持ち味としてブレンドされている。

 
この先どんな人と出会うのだろう、
まだ見ぬ人となんて想像は例えばまあ、
恋愛の対象なんていうことではそんな空想も楽しいでしょう。

でも、実際に現実となる未来を作り上げていくためには、
しっかり見据えたビジョンを持とう。

いつかどこかで出会った時に、ようやく会えたね、
とはっきり自覚できるほど今日、この日を心待ちにしていたと
思えるほどの明確な映像としての未来像。

自分の夢を檻から出していますか? 

不当に自分自身を苦しめていないか、
誰かの犠牲となった仕事の仕方をしていないか? 

そんな原点に立ち返ることをしていけたら、
今よりちょっと実りがいい仕事がしたいなんていう漠然とした
思考から抜け出していけるのではないのかな? 

忍耐の意義、はき違えのないような生き方、
これからでも学んでいこう。

 
 
 
 
 
というわけで

「今すぐ捨て去るべき自己犠牲精神と幸福を取り戻すための毎日のチャレンジ」
1、自分のココロの内側から「なりたい自分」をみつける。

2、今、我慢していることを確認する。

3、3年前の自分、6年前の自分と9年くぎりでできれば12年、
 15年前、18年前と遡って過去の自分から1で見つけた
 「なりたい自分」に生きていく上でのアドバイスを求める。

4、過去の自分から得られたアドバイス、メッセージを振り返り
 不当な「我慢」や不条理な「忍耐や犠牲」は捨て去る。

5、未来の自分は不条理な世界にいるのはなく自由に生きているということを設定する。

 
何もしなければ無いのと同じ、
そんな意味合いの言葉もどこかの起業家の言葉にありましたね。

成功したいと願うあなたの本心は、
紐解けばあなたの細胞レベルで意識を持っています。

ここまで読んでいただけたあなたにとって、
他人とのしがらみ、必要の無い制約、
どうでもいい都合という檻はすでに開かれています。

あとは踏み出すだけですよ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ブラック企業から介護業界に転身して学んだ、
人生を変えていくための自分なりのシンプルな方法シリーズでした。
 
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