【志村ショックから考える 己の意志で生きろ】
わたしたちは本当にバカだ。
仕事でも私生活にでも、どんな場面であっても人生において大切なメッセージやアドバイスに
囲まれて生きているはずなのにいつもそこに気がつかない。
なぜ??? すぐに理解が出来ないのでしょうね。
電車が定時に発車することも、今日の仕事に携われていることも、
人の優しさに触れていることも当然だと受け止めているのでしょうか。
いいえ、
そうではないよと謙虚さを持っているにしても相手の思いの全ては受け止めきれない。
だからこそ、わたしたちはいつでもどんなことにでもありがとうと感謝の念を忘れてはならないものだよ。
今日、この時間を大切な人と共有できるのであれば、
そのことはこの上なく素晴らしいものとなる。
だからこそ思いやりを欠いてはならない。
いつだってその人や、何か思いの込めたものを失って初めてその大切さに気がつく。
今日が最後ならと毎朝自分に問いかけていたスティーブ・ジョブスの言葉だってそうだ。
活字にまでなっているにも関わらずその言葉の意味にまだ気がつけないなら本当にもったいないと思いますよね。
そんな折、今回の志村ショックであなたはどんなことに気がつかされましたか?
きっとどんな人も志村けんさんにお礼を伝えられなかったことを悔やんで悔やんで、
本当に後悔していると思いますよ。
同じことがわたしたちの日常に多く取り巻いているということです。
真摯に謙虚にそして、自分の気持ちや意志を大切にしていこう。
わたしたちが生きている理由ということの意義として世の為、人の為という意識があります。
それにしても神様、こんな未熟なわたしが誰かのために役に立てることなどあるのでしょうか…。
神様という存在は本当に懐が深い。
普通、一般の会社なら社に貢献したいと思ったところで採用だの適正だのそんなところでふるい落とされる。
それに比べて神様、ああ、こんな自分に役目を与えて下さりありがとう。
でも、わたしの役目は何?
そこを見つけろというのがお役目であり課題であり生き方そのものなのですよね。
生き方が見つけられていないというゼロからのスタート、何もないという現実、弱み。
その弱みを知ることで生みだされる機会を通して自分の答えに導いていけることが、
わたしたちのセルフヘルプのひとつ。
「自分の答えを持つ」こと。
きっと最初も最後も求められるものは「Want」です。
欲しい、したい、好き、そんな自らを喜ばせるために必要な答えを知ることがわたしたち
その人個人を知る最も強い要素になるのだからありったけの好き好きアピールをどんどん続けていけたらいい。
きっと「あなた、きっとこれが好きだと思うから」と良いご縁が生まれてきます。
身近なところだと好物なお菓子を差し入れに頂くとかそういういわゆる引き寄せチックなものだったり、
それこそ人生を左右する良縁なんてものにも巡りあえるものかもしれないしね。
今日を確かに生きたと思うために行動をするとしたら?
今日が最後なら、今あることが最後になってしまうとするならとした思いを持ちながら、
今出来る自分にとっての答えを得ていくことでしょう。
その時に降ってくる自分の役目、
ちょっと誰かのために歯磨き粉を買ってきますよと云っても、
もしかしたら「え、そんなのあなたがやらなくていいよ」
みたいなことを云われるかもしれない。
気遣い、配慮、時間外勤務という顔をした妨げなんですよ。
思い出してみて、幼い子供の姿格好をした魔の言葉にまんまと騙されてしまった歴史。
わたしたちがわたしたちである理由、それが自分の答え、つまりは意志を持つことです。
でも自分の主張ばかりを押し付けてしまうとそこから歪みが生まれてくるので状況は客観的に見ていきましょう。
ファイトです!