【認知症ケア ユマニチュードを学びつつ】
やりたい事をやるべき事に変えていく時期に既にあると思いながらも、やるべき動作に入れないということあるよね。
あれこれリセットなんて云っているヒマがあったらとりあえず新聞でも読んでみたらいいよ。
わたしもたまたまユマニチュードに関した記事を発見して珍しく勉強になったと思えたことがあったので新聞報道なんて情報操作そのものなんて先入観もたまには消してみるのもいいのかもしれませんね。
情報ひとつ、インプットの入り口が違うだけで聞こえ方がまるで違うなんて経験は誰にでもあります、
普段のわたしたちが忘れているだけで。
「こうした方がいい」と子供に説明をするにも親の言い方、
友達の言い方からの言われ方と受け取り方は全く違うもの。
親に言われるとイラっとくるものが、友達から言われると素直にそうかと納得するなんてこと、
云うまでもなく親密感の影響ですよね。
教師や特別に好意の人からと同じ言葉を告げられるにしても、
わたしたちは教師よりも好きな人からの言葉により良く反応してしまうものだ。
目を見つめ、優しく話しかける、柔らかく触れてあげることで信頼感を持たせるという
ユマニチュードの基本テク、あらためて考えてみると普段を見直すきっかけにもなると思います。
認知症ケア ユマニチュードを学びつつ、日々振り返っていきたいですね。
認知症ならではの短期記憶の欠落で当人は今いる環境へもなかなか理解ができず周囲のわたしたちは介入はすれど良好な改善とは言えず疲弊してしまうことが重なってしまう。
それでも介護職でない普通一般の人が親族家族を支える為に独自で認知症ケアを学んで、
ユマニチュードケアを実践してと生活に落とし込めているのだから、
最低限認知症ケアを職業とするプロであるならさらに学びと実践と大いに進めていくべきでしょう。
確かに家族身内と外部職員という関わりの中での距離感は時間をかけて構築しなければならないけれども、
いつまでものんびりとはやっていられない。
なぜなら進行を食い止める時間は短く限られているからね。
超高齢化社会を迎える中で認知症ケアにAI(もしくはAI解析技術)がどこまで入り込めるのかは今ある問題点やここをこうして欲しいんだよというニーズにも重なってくる。
計算、解析だけでは計り知れない認知症症例に照らし合わせ対応がわたしたちの日常的なケア、
つまりは様々なアイデア。
AIを通してわたしたちの手順や視線の先にあるものが何かを監視指導されることができるという取り組みもあるようですが、
あなたは一概に良いとされると思うでしょうか。
相手の呼吸やリズムに合わせてのケアの初動となるのだから、
一律にデータ処理したケアなどはとても認知症ケアとはならないかもしれませんよね。
いくら遠隔カメラで見たところで「失認」なんて症状、読み取れないでしょう。
例えば椅子に座って下さいの指示出しをするとき、
AIにとっての正解とわたしたちの対応の手順に差異だって生じてくる。
そのときその人にとってのみのわたしたち介護側の判断に委ねられる、
それこそが認知症ケアの根底にあるものなのではないかな。
AIテクノロジーを開発する企業も機械的に人を動かすための指示を出すような
アプリ開発やデータ出しをするよりも遠隔でも体温を感じ取れるとか、
ムードや気持ちの状態を測れる技術を競って開発してくれたらこの産業革命時に
見合った技術革新と現場で活かしきることのできる認知症ケア、
ユマニチュードと一体感のある現場が作られていけそうに思いますがいかがでしょう。
そんな世界、楽しそうですよね。
頑張りましょう。
ユマニチュードわたしも、勉強したいです。よろしくお願いします。
ありがとうございます。