【介護に携わる方へのグリーフケア 介護の使命を理解できたら嬉しくなります】

 

介護職員のみならず残された方に向けてのグリーフケア。

 

 

毎度感じることではありますが、
ターミナルケアやご逝去に対峙すると本当に
「もっとチカラを出せなかったのかな、

寄り添ってあげられなかったのかな」
 
と誰でにいつも考えます。



いろんな思いが交錯して、業務範疇でいうと責任の所在がどうのこうの、
連絡が滞ったとか細いところを突かれて四方八方から指摘が入ります。

第三者の云う通りに動けたと仮定して、
旅立った方が満足してくれるならありがたいことですけど、
中には一人で旅立つことを望む人もいるから、
最後は家族で見送ろうと周囲が言ったとしても、
当の本人はそれを望んでいないかもしれませんよね。

 

 

 

ターミナルケアや介護の仕事、認知症対応に限らず、
わたしたちが日々、転職だと思える仕事につくには
悲観的なことよりも自分らしさ、
楽しいと思えることにフォーカスして従事する。

逆境、損失やマイナスに働くエネルギーに対して目を向けないことです。

 

 

最後まで残された可能性によりも、
もう死んでいくんだと云う方向に目が向いていないか? 


いよいよ、お見送りとなる時間がきても焦りや喪失感で
自分自身が空回りしないように方向転換をしてみる。

多分、そういう覚悟を持てているから
この介護やお看取りという仕事ができているんでしょう。

そのことを誇りに思ってください。

「もっとチカラを出せなかったのかな、
寄り添ってあげられなかったのかな」と思ったのなら、

今もこうして気持ちが寄り添っているのだと云うことを認めてあげましょう。

ロス(失うこと)から来る不安、恐れ、
喪失感を煽られることでこの先に対峙する仕事や
日常の思考もマイナスに向けずにいくこと。

ロスはチャンスとして捉えられるなら? 
捨てることのできる感情は全てクリアにして、
この悲しみを乗り越えて立ち上がれた強さを
身につけていることに周りが気がついています。

 

 

 

あなたが喪失感を抱えているということよりも、
体験したことを踏まえて経験値を伸ばすことが
できたと認められていますよね。
それでいいですよね。

 
 

 

少し冷静になると、
なぜこの仕事を選んだのかなとも考えます。

 
 
多分、何かひとつどんな理由があるにせよ、
何かの役に立てるのでは? と云う思いがあってこそ。

話を大きく展開させてしまいますが、
それこそ宇宙的な視点で愛と光を自分で導いて周りを照らしていくのだと。
まあ、あまりこんなことは考えないか。

普通にやってみたい、できそう、資格を活かしたい、
そんな言葉で動機を語られるかもしれないですけれども、
なぜそれを選ぶのかと繰り返し尋ねられたら行き着くところは人の役に立ちたい、
明るくしてあげたいと、
そんな自分の内面からのメッセージに気づくことができます。

変なことを言っている、と言われたっていいじゃないですか、
愛と光を自分で導いてわたしの周りの世界をを明るく照らしていくのだと、
そのために今、自分がここにいるんだよと胸をはっていきましょう。

 
でもさ、愛と光といったって、なんのこと?と思う人ありますよね。

 

つまりは自分の内面から突き動かされた気持ちの中にある人を
大切にしたいという気持ちです。

例えば、
 
・与えること。欲しいと思うものこそ差し出し、与えなさい。
・過去にとらわれない
 
 
この2つのメソッドはことあるごとに、
いろんなところに書かれているものです。

つまりはそう、真実。

ご逝去に際して、過去の人生を振り返ったり、
あれこれと思い出が引っ張り出されたりします。

旅立つ人は残された人に対して、笑顔で過ごしてくれるようにと
願っているはずなんだと思いませんか?

 

 

仕事の仕方で、死んだ後にやいのやいの言われることなど、
望んでいないと願ってやみませんよね。

 

 

だからこそ、お見送りの後には泣いてもいいけど、
いずれどこかで切り替えて

・笑顔や優しさを与えること。
 欲しいと思うものこそ差し出し、与えなさい。

・悲しさのある過去にとらわれない

そう考えられることで、気分も変わっていくものではないでしょうか。
こうありたいですよね。

グリーフケアの基本的な考え方は、
悲嘆揺れる感情や言動を受け止めることです。

それらを良くないことだと説得したり、
悲しまないように励ましたりしても、
悲嘆を取り除いたり解決したりすることはできません。

逆に不用意な勇気付けは、
病的なプロセスに陥らせることすらあります。

笑顔や優しさを与えること、
なんてもしかたら跳ね返されるメッセージになることもあるかもしれませんが、
無理にそのことに気づかせるのではなく、
共にいるよというスタンスで対応できることがベターなのかもしれません。

■悲しみや辛さを口にすることは悪いことではない

遺された側の立場になった人は、
「自分がいつまでも悲しんでいては、周囲の人に迷惑をかけてしまう」

「悲しいのは自分だけではない」
「早く立ち直らなければ」
と考えてしまいがちです。

 

 

余裕のない中であっても、周りの人の気持ちを第一に考え、
悲しみや辛さを口にしない人もいます。

サービスを提供する側であればその原因を作ってしまったと
解釈をしてしまい自らを負に落としてしまうこともあったりします。

大切な人の喪失感が自分自身を立ち直らせることの役に立たせることもできます。

自分が「遺された側」であっても、
ほかの「遺された側」を支えることで、
自分自身の無力感を解消し、
死に向き合っていける人もいるからです。

本当はだれかに話したいのに、周りに気を使って話せない、
「話すべきではない」と考えているのであれば、
その必要はありません。


悲しみや辛さを口にすることは決して悪いことではありませんし、
それを聞いた人がその悲しみや辛さをどう昇華していくかは、
話した人が責任を負うべきことでもないからです。

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グリーフケアにおいても「基本」となる考え方や方法はあります。
しかし人の死の受け入れ方は、一人ひとり違います。
同じ立場にあっても、受け入れ方が異なるのは当然です。

「絶対にこうしなければならない」
「こうしないと故人が浮かばれない」
と考える必要はありません。

死に対する多様性を認めることは、グリーフケアにおいて非常に重要です。

なぜなら悲しみは長く続くというものだからです。

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悲しみは続く。

それでも、自分がここにいる意味を考えてみる。

・この親の元に、この地に、
この時代に? 
どうして今この場所に必要と
されているのかを考える。
・忘れた記憶を思い出す。
・魂と約束してきたこと、使命を思い出す。

 

 
人生を楽しみながら過ごしている人、

溌溂と仕事をしている人、

家族やパートナーとも良好な関係を継続できている人というのは

自分自身をしっかりと言わないまでも必ず小さいながらも理解をしています。

でもこれが理解できていないからダメだということでもありません。
今はわからなくてもマインドをオープンにしていれば、
いつか気付けるはずです。


魂の中にある絆と記憶の中に、
自分がこれからしなければならないことを隠れているかもしれません。

 
 

・笑顔や優しさを与えること。
・これをするのが自分にとっての喜び 
・最愛の人ばかりでなく世界の平和を祈ることに目を向ける。
 
 
大切な人を失ったり、
グリーフケアという作業の中においては

ただ感情のリセットというだけのことではなくて
その先の人生を見据えていくための浄化の期間として考えてもいいですよね。
 
 

 

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ご感想や気づき、発見がありましたらこちらまでメッセージをください。
個別には対応できないことが多いですが必ず目を通しており、
今後の発信に活かしてまいります。

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