【介護 私がいなくなった後でもずっと覚えていてくれるでしょ】

 

 今日は退居が1件ありました。

 

 

退居といっても逝去でなくて転居ですね。

 

 

なので寂しさ半分、これからもお元気でと思えたことも半分。

 

 
重度認知症でサービス開始前の事前情報でも相当厳しい人だとのことでどんな人なんだろうと思っていたら
想像以上にかけ離れた印象の方とのおつきあいでした。
 
 
開けてびっくり、まさかの暴力癖とは。
 
 
 
 
最初の出会いから1年には満たない中でADLがグンと落ちてしまった、
もしくは落とす状況を作ってしまったことで、
わたしたちはもう少し何か考えてあげられなかったのかなと思うとちょっと辛いものだし、
つとユマニチュード、ユマニチュードと念仏のように口にして対応はしていたけれども
そんなに目に見えた効果は上げられませんでしたね。
 
 
無力感を覚えます。
 
 
 
重度認知症例のひとつに関わらせて頂いた間はあれこれ悩まされたりしましたが、
例えて分かりやすく云うならちょっと困った人ほどいなくなると寂しいものですね。
 
 
 
思い出してみると、
幼い頃に近所のお年寄りをおっかない、口うるさいと思っていたのに
その人が見えなくなったらかえってなんだか気になってしまうような感傷が出てきますね。
 
 
 
そんな時に思い起こされること。
 
 
 
 

「わたしは意地悪ばあさんになるんです。

近所の人にうるさがられるような。

 
そうしたら
 
死んだりいなくなったりしたときにずっと覚えていてくれるでしょ。
 
大人しく小さくなっていたら、
 
わたしのこともすぐに忘れられてしまう。
 
あのうるさいばあさんって、
 
思い出してもらってみんなの笑い話の種になってやるのよ、
 
ふっふっふ(笑)」
 
 
 
 
…云々みたいなことを云っていた人を思い出します。
 
 
 
 
 
 対応しているときには支援と介助をどう重ね合わせるもの、
どこまで自分で出来るのか、
こんな症例に詳しい事業所ならどんなプランを立てるのかなど色々考えたりもしました。
 
 
 
 
そこまでするなら介護度上げないと違うでしょう、
なんてこともどんな現場でも見られることですよね。
 
 
結局、他の真似ではないその場に応じたアイデアを出しては
現場に携わる人も現場を見れない人も含めてみんなでトライ&エラー。
 
 
 
そもそもケアプランというものはその人個人だけの特別オーダー制のものなのだから
参考にはしてもこちらの希望する結果が訪れるとも限らない。
 
 
 
全てがすべてパーフェクト、
介助側も御利用者様も納得の大満足なんてことにはなかなかならなかったけれども、
最後はご家族からありがとうといただけたなら良しと思いたいですね。
 
 
わたしたちもこうしてひとつひとつの経験値を上げていくことで
ステップアップできているものだと思っていけたらいいのかもしれません。
 
 
 
 それにしてもわたしの担当するご利用者様は、
認知症専門の講師でさえ対応に悩むほどの対応困難な方が多くてアドバイスを求めても
 
 

「色々考えてやってみないとわからない」
 
 

と云う回答がほとんどでした。
 
 
 
 
自分で自分のことが分からなくなってしまうことの怖さ、はかり知れない物です。
 
 
 
 
 こちらが本当にありがたいと思えたのは、
わたしが担当させていただいたご家族の方すべて本当に仲が良くて本来家族とはこういうものだよな
と思わせていただけたこと。
 
 
 
仲がいいとそんな拙い言葉ではなくて、
家族がどんな病状に悩まされたとしても思いやりとかいたわり、
そういう目線を失っていないだけでなく、
例え生活の基盤はホームや施設で多くの担当職員に支えられた生活であっても
わたしたち家族で最後まで支えてやるんだみたいなね、
そんな強さを見て取れました。
 
 
 
これも大事な学びですよね。
 
 
 
 
 
 
それにしても、新型コロナウイルスの世界の感染者が50万人を突破だそうだ、、、。
 
 
 
 
今日もファイトです。

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