【最高のギフト 貢献するための挑戦こそが喜び】

 
最高のギフトというと、何か高価なものを与えることだと思いますか?
それとも相手の思いに応えることだと思いますか?
きっと嬉しさの溢れるサプライズがあったら最高のギフトになりますよね。

ところで話は違いますが、
自分自身はとても絵を描いたり
何かを作ったりする図画工作大好き少年でした。

幼児番組の工作コーナーで紹介された物はよく作っていたし、
小学校に上がると図工の教科書に載っていたものは
授業や教師の予定も気にする事無く、
勝手に自宅で予習して遊んでいたタイプでした。

折り紙も例外ではなくて飽きずにせっせと
何かしら折ったり切ったりしていましたね。

他の人が飽きて丸めて捨てた紙を拾ってきては
もう一度広げ直して自分用にしてしまうこともあったというから、
当時はかなり思い入れも強かったのでしょうね。

とはいえ小学1年、2年のときのことなので作れる物など
ひっちゃかめっちゃかな物だったことはなんとなく覚えているのですが。
 
 
 
 
そのあたりが原体験なのか、
今でも何かあれば「買うより作れ」
とストレートにそういう選択をしています。

というより、これほど物が買えるなんてことは考えもしなかった。

というわけでせっせと何かを作っては壊し作っては人にあげて、
また何かを作っては、と繰り返してきました。

さて「最高のギフト 貢献するための挑戦こそが喜び」
今年の父の日に何をするかです。

母の日、わたしは介護施設でのプレゼント準備はノータッチだったので
父の日はわたしの方で用意することになった。

造花を買って差し上げても良いと云われたが、
そんなものもらっても自分なら帰り道のどこかで捨ててしまうだろうし、
そもそも人からもらえる物など個人的は良い印象が全くない。

簡単にかつ、オリジナリティがあって思い入れも込められるものとして、
今回も花でも折ろうかと考え、お題は「バラ」とした。

実は1年くらい前にもバラにトライしたのですが、
工程後半の形をまとめあげるところで挫折してしまい、
そのときは

「今回は無理だ、代わりに今のスキルでも出来そうな、、、チューリップは!?」

ということで一気呵成に必要人数分を揃えたことがあります。

今回も作業を進めているとき、
やはり以前にくみ上げられなかった箇所で一度作業が止まってしまった。

これを3度繰り返してもやっぱり先に進めなかった。

諦め半分、まだまだ時間もあるというところで保険として
以前作ったチューリップを再度人数分揃えておきました。

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再度トライする
================

いつも作業の止まる箇所までもう一度行き着き、
きっかけはどうだったかは自分でも理解出来ていないものの、
なんとなく「見えた!」と思えたところがあり、
昨日よりは進展。

詰めまではいかないものの、とりあえず形作るところまでは進めて安心。

さらに翌日、
ここから一つ一つの部位をチェックしながら折り進めていくと、
不完全ながらも完成しました。

この手順、感覚を忘れないようにと、複数作って手順も覚えて、
さあ最後の仕上げ。

しかも締切の期日までにかなりの時間があるとちょっとした達成感がありました。

しかし、さらなる課題が発生します。

父の日のプレゼント用のはずが、、、
女性にも配布しろという指示です。

おいおい、ちょっと待ってくれ・・・。

 そうしたときあなたならどうする?
 
 
1、受け入れる。
 
2、協力を要請する。
 
3、断る。
 
 
 
 
今回はやれ、というのも「できるでしょ」の裏返しだと判断して実行します。

問題となるものは1つを作るのに相当な時間を要するというところで、
もうちょっと簡素にならないかとというところがあるのですが、
こればかりはしょうがない。
そういうものを自分で選んだのだからね。

ということで、

父の日当日。ひとつづつ手渡していきます。

ちょっとした生活の一コマ、華やかさに溢れて、
話題が増えることになるとこちらとしてもありがたいですね。

 
男性陣はニッコリ

 
 
 
父の日なのに、いいの? なんて。。。

ここで、かなり入念に作業をしてしまったので、
しばらくお休みするかというとそうでもなくて次のテーマとしては、
やっぱり七夕。
 
 
 
今回は、ほぼこちらで作ってしまいましたが、
できるだけ作業に携わってくれる方が多くあって、
わいわいと、ああだ、こうだと言いながら
5分でも10分でも作業できる時間がとれると良いのですが。
 
 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
認知症リハとしての工作、折り紙
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

折り紙となると、一連の作業を通して頭や手先、
指先を使った作業療法のひとつとなります。

ただし、レクのメニューで「折り紙」と提示すると、
大概は「へん、そんなもの」とご利用者様からバカにされることが多いのが実情です。

折り紙が下らないと思われる理由はこれ

↓↓↓↓↓↓

 
 
当人と完成度のレベルが合わないということです。

v

興味がない以前に自分には出来ないからやる気が起こらないという心情、
高齢者に限らずどんな世代の方にもあてはまります。

そうした背景をふまずに、
今日のレクは「折り紙だよ」と云っても見向きもされないでしょう。

実施したところで幼児レベルの折り方では、
5分と持たずに飽きられるし、
かといって難易度が高いと挑戦しようとする気持ちも起こりにくいし、
また指導する方も上級のスキルが求められるだけでなく、その分

「レクなんかの時間のためにわたしの貴重な時間が取られてしまう、
どうしてくれんのよ」

みたいな心理が働いてしまう。

これを改善させるには?

v

例えば、発表の場を設ける、季節ごとのイベントを企画する
なんていう名目で失われた社会性や交流を回復することで
主体性を持たせる働きかけが大切
ですね。

春だからサクラにちなんだ物を作ろう、
夏休みに合わせて海の絵を描こうでも、
意図するところはどんなことでも理由付けになるでしょう。

作業を通じた、人や社会との関わり、役割を認識すること。

それに誰だって人の役に立てるという思いがあれば生きていくための原動力にもなる。

人々は古来から作業をともに取り組むことで社会や絆を形成してきました。
子どものころの遊び、家族で一緒に行う家事、
仕事での協働などどんな作業でも人と人とをつなげます。

後期高齢、まして認知症を患ってしまうと
どんどん社会性や人との交流は捨て去られます。

そのくせ認知症予防などと謳っているのだから
意識と現実がまったく噛み合ないことが分かる。

作業療法を行うとしても全て専門家に任せきりではない。


ちょっとした工作系ならリハビリと感じさせない
日常作業を繰り返す指導は誰でもできるし、
色彩感覚や美意識まで刺激することになり効果は決してゼロではない。
 
 
 
 
出来ないことに意識を向けるより楽しめること、
期待する気持ちを持たせることに目を向けるといつのまにか
「ちょうどいい難易度」では飽き足らず、
もうちょっとやれることはないかとレベルアップも見込めます。

作業療法は生活と密着し効果を発揮します。

認知症によって失われたようにみえる「作業」を取り戻すことは、
ご本人の体に流れるこれまでの経験や知識までも思い起こすことになります。
_

「作業」を通して、ご本人、ご家族が、その人自身に再び出会い、
人々とのつながりを取り戻し、
認知症とともにあゆむ未来につながっていくことでしょう。

 

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ご感想や気づき、発見がありましたらこちらまでメッセージをください。
個別には対応できないことが多いですが必ず目を通しており、
今後の発信に活かしてまいります。

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