【認知症ケア 人を動かそうとしない】

 事前情報に反して、介護職目線でなくとも理解できるほどのBPSDやら失認やら失行。

 

 

ここまでひどい状態だったとはと悪い意味での想定外な事例が、
介護現場や認知症対応の中では多々あるものです。

ちょっと家族~、
アセスメントの時にはこんなことがあるなんて一言も言ってな・か・っ・た・よ・ね~…、

と言ったところで始まらない。

対応困難とかやってられないなんて口にせずとも自分の非力さを嘆いたり、
疲弊感満点でその場を終えたのであればどれだけのエネルギーを失ってしまうことになってしまうのか。

体力的には回復したとして、
また次の日にその現場に携わるとなる前の気分の重さを感じるのであれば
すでにエネルギーを奪われていることにもなりますよね。

そうして介護職の誰もが負の連鎖を起こしてしまう。

「やっぱり向いていない仕事なのではないのか」と。

 

 介護の話しに限った話題ではないのですがそういう時の気持ちの持ち様の方向性を変えていく方法、
ココロの在り方としてのヒントとなるものを最近読んだ講座テキストの中に見つけました。

万人向けとは云えないまでも何かのヒントになるものがあればと思いアウトプットを兼ねて紹介したい。

 

 要介護でサービスを提供させていただく際にはまず事前情報が必須ですよね。

実際に現場の中では「そんな話し最初はなかったじゃない」というのはもはや普通。

それを分かっていながら事前情報にこだわってしまうのはやはり
今のサービス提供のシステムのどこかに見落としている点があるのでしょうね。

事前情報プラス、わたしたちの初動介入、
関わってほんの2~3日の間だけでも見えてきた情報こそを根本にしてケアプランを
組み立てていけたらいいかもしれませんよね。

むしろわたし個人はそうした方がよりよりベターな順序だと考えています。

 

入居判定でプランまで決めてあとは現場に丸投げなんて、どうよね。。。

本来サービスと言えるものとはほど遠い。

 

 そうしてどんなサービスを提供して行くかを考えていくわけですけれども、
日常色んな場面でわたしたちはご利用者様と強めに動かそうとすることがあります。

例えば間違った方向に行くことや危険回避とはいえ言動を修正したり、
そっちに行かないでと伝えます。正しいのでしょうが、
そこには「分からないから」手伝ってあげなければという
よく出来るとされる介助者視点の先回り感が必ずありますよね。

つまり、改めていきたいマインドセットはそこです。

 

 わたしたちは日常の私生活も仕事の中でもクライアントに対応するときでも、
すべて相手の人となりと最初から仕分けて接している。
だからココロが疲れてしまうのでしょう。

 

気持ちの許せる相手になら、お互いに砕けた会話や好い意味での遠慮がなくなったりしますよね。

反対にわざわざひと呼吸おいたり、
襟元正してノックをしてなんて普段とは違うことをしていながら「緊張したー」なんて、
当たり前ですよ。

 

 今日出会う人全てに対して自分が恥ずかしくない対応できているかどうかを見定めてこそ、
認知症対応などにも応用出来ると思いませんか? 

自分の言動、人に見られています。

いくら認知症でモノが分からないとしたってその人から見られていますよ。

どんな自分の姿が映っていたら嬉しいでしょう、考えるまでもないですよね。

 

 そこで冒頭の認知症対応でそのことをあてはめてみると、
自分がされたらイヤだなと思うことをしない、
例えばそんな気持ちを持って接してみるだけでも介助者の気持ちは変わってくるのではないのかな。

そう、まずは自分の気持ちが折れないように、
穢れないようにすることが大切です。

いくら気概があったとしたって、疲れたココロのままではいい仕事はできないもの。

 

 穢れとは気が枯れる、すなわち「気」「枯れ」なのだそうだ。
(最近、読んで学びました。)
 

自分のココロのリセット、常に改めて参りましょう。

 

 
ファイトです。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください